あなたの知らない札幌(12)「サッポロビール博物館」後編

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    人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで不定期連載として「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。

     

    第12回後編は、4月にリニューアルオープンしたサッポロビール博物館(札幌市東区)で最近のビールについて、そして缶ビールの正しい注ぎ方を伝授してもらいます。飲み頃ビールの「黄金比率」といわれる「ビール7:泡3」を作り出す方法とは……。 ※後編はこちら

     

     

    サッポロとアサヒが同じ会社だった?

     

    サッポロビールの前身・札幌麦酒会社が設立されたのは1887(明治19)年のことです。おおもとの「開拓使麦酒醸造所」が1886(明治18)年に民間払い下げとなり、明治時代を代表する渋沢栄一らが中心となって札幌麦酒会社を設立しました。

     

    その後、1906(明治38)年に日本のビール界にとって大きな出来事が起こります。それが恵比寿麦酒を製造していた日本麦酒会社(本社・東京)の社長・馬越恭平が業績が低迷していた日本麦酒の立て直しのために、北の札幌麦酒会社(本社・札幌)と西の大阪麦酒会社(のちのアサヒビール)との合併を画策し、大日本麦酒株式会社が設立されました。当時札幌麦酒会社はシェア1位を獲得していましたが、この大合併により市場の7割近くを独占することになります。しかし戦後の財閥解体のあおりを受け、朝日麦酒(のちのアサヒグループホールディングス)と日本麦酒(サッポロホールディングス)に分割されました。

     

    ちなみにサッポロビールの主力商品である「黒ラベル」というネーミングについてですが、これはビールの愛好家たちがつけた愛称を拝借したものです。かつてのビール瓶は今よりも薄い茶色で、名前の部分はシールではなく瓶に直接白い塗料を塗っていました。そのビール瓶にビールを入れると、白い部分が外からは黒く見えたので「黒ラベル」と呼ばれるようになり、そのまま商品名になったのです。

     

     

    缶ビールの正しい注ぎ方は「3度に分ける」のがポイント

     

    このような日本のビールの歴史が楽しめる展示をご覧いただいた後は、ビールで喉を潤してもらいます。ここサッポロビール博物館でしか味わえないのが、「復刻札幌製麦酒」。これは創業時のビールの味を再現したものですが、当時はイギリス式の製法が一般的だった日本において、日本にやって来た外国人に絶賛されたドイツ式の製法によるビールです。ちなみに明治天皇が札幌を行幸された際、工場で試飲したのちに宿泊先へ戻られてから「あの麦酒をもう一度飲みたい」と札幌麦酒を所望されたというエピソードも残っています。

     

    ここで美味しい缶ビールの飲み方をご紹介しましょう。缶ビールをグラスに注ぐときに、傾けて入れる方は少なくないと思いますが、実はこれはビールの泡の美味しさを逃してしまう注ぎ方です。そこで私たちが提唱している注ぎ方は「3度注ぎ」です。

     

    1.冷えた缶ビールと、洗ったあと自然乾燥させ冷蔵庫で冷やしたグラスを用意する

    2.グラスは「飲み口1:高さ2」の割合のものを使用する。

    3.まずグラスの6分目くらいまで一気に注ぐ。泡が大量に出るが失敗ではない。

    4.きめの細かい泡がビールの美味しさを閉じ込める蓋の役割に。

    5.ビールと泡が「1:1」の割合に落ち着いたところで2度目の注ぎ時。ゆっくりと9分目まで。

    6.ビールと泡が「6:4」の割合になったところで3度目の注ぎ時。グイグイ注いで完成。

     

    泡でビールを塞ぐことで、ビールが空気に触れて味が劣化することを防ぎます。「泡がビールの味を決める」といわれている所以がここにあります。

     

    ビールの歴史は、北海道の開拓の歴史でもあります。その歴史を知ることで、より地域のことを知ることができる……サッポロビール博物館は、観光客の方はもちろん地元の方にもこの歴史をお伝えしていきたいと思っています。


    あなたの知らない札幌(12)「サッポロビール博物館」前編

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      人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで不定期連載として「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。

       

      第12回前編は、4月にリニューアルオープンしたサッポロビール博物館(札幌市東区)で、北海道でビールが造られる理由を同館を運営しているサッポロビール株式会社のブランドコミュニケーター(同社では博物館のスタッフをこう呼んでいる)に教えてもらいます。のちの内閣総理大臣・黒田清隆に意見を申し立てた人物とは……。

       

       

      明治時代に建てられた築120年以上の建物を増改築

       

      サッポロビール博物館は1987(昭和62)年にオープンした、日本のビールの歴史を学べる博物館です。建物は1890(明治20)年に設立された甜菜工場(1903年にサッポロビールの前身である札幌麦酒会社の製麦工場に)を増改築して利用しています。

       

      4月にリニューアルオープンしたのですが、その中でも一番大きく変化したものといえば、6Dシアターを設置したことです。このシアターでは、「なぜ北海道でビールが造られるようになったのか」「ビールの造り方」の2種類のミニフィルムを上映しています。(シアター上映を見るには有料のプレミアムツアーに参加が必要)

       

      特に歴史が好きな方に好評なのが「なぜ北海道でビールが造られるようになったのか」についてのフィルムです。そのあらすじを簡単にご紹介しますと……。

       

       

      村橋久成・中川清兵衛が尽力した北海道でのビール醸造

       

      明治政府が北海道を開拓するにあたり、「お雇い外国人」と呼ばれる外国人有識者を日本に招いて、さまざまな施策を検討しました。その中のひとつに、「日本でビールを製造する」という案が出され、時の開拓長官・黒田清隆のもとプロジェクトは進められました。

       

      そのプロジェクトの責任者となったのが、村橋久成(当時32歳)という元薩摩藩士。幕末にイギリスに留学し、その産業革命の凄さを目の当たりにしてきた人物が、日本でビールを製造するにあたり一緒に行動したのが中川清兵衛(当時27歳)というドイツ・ベルリンでビールの醸造を学んできた技師でした。

       

      そこで一つの問題が起こります。政府はビール工場を東京に設立することを内定させていましたが、村橋が薩摩藩の先輩にあたる黒田に意見書を送ります。その内容とは「ビールは低温醸造できないと美味しくならない。東京は暑すぎるので、味を保証するのは難しい。今の日本でビールが製造できるのは北海道だけ」というものでした。当時高官に意見を申し出るなど、確実に解雇される事案です。しかし、村橋は高官たち一人ひとりを説得し、最終的に北海道・札幌に工場を設立する方針に転換され、1876(明治8)年に「開拓使麦酒醸造所」が現在の博物館から程近い場所に建設され、「日本人技師による初の国内産ビール」が翌1877(明治9)年に誕生しました。ちなみにビールの醸造に不可欠なホップは、北海道に自生していたんです。そして大麦の試験育成も成功し、北海道はビール王国になっていきます。

       

       

      このような物語を見た後、シアターから展示の方へ移動するのですが、その移動するときにちょっとした工夫がありますのでその部分も楽しんでもらえればと思います。

       

      そして展示の最初に登場するのが煮沸釜。350ml缶24万本分を造ることができる銅製の釜で、1960年代から40年近く使用されました。現在はステンレス製の釜になっているので、直径6.1m・高さおよそ10m(煙突込み)という大きさの銅製の釜が残っているのは日本ではここだけです。

       

      2016年は、サッポロビールの前身である札幌麦酒会社の設立140周年という節目の年ですが、一時期アサヒビールさんと同じ会社だった時代もあるんです。

       

      後編へ続く


      あなたの知らない札幌(11)「千歳鶴酒ミュージアム」後編

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        人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで不定期連載として「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。

         

        第11回後編は、「酒ミュージアム」(札幌市中央区)を運営している日本清酒株式会社の営業管理部・広報企画課の櫛引はるかさんに、同施設ならではの商品について伺いました。 ※後編はこちら

         

         

        “札幌の地酒”の仕込み水は200年かけてしみ込んだ伏流水

         

        酒ミュージアムを入るとすぐにあるのが、日本清酒が製造している日本酒銘柄『千歳鶴』の命ともいえる仕込み水の試飲コーナーです。この仕込み水には、札幌南部の山々に200年という長い年月をかけてしみ込んだ伏流水を使用しています。地下150mからくみ上げているのですが、常に摂氏4度という水温が保たれ、滑らかな口当たりが特徴の水です。

         

        日本酒造りには鉄分とマンガンは大敵となるのですが、その2つの成分が入っていない、日本酒には最適の水質となっています。

         

        この伏流水の存在こそが、日本清酒が“札幌の地酒”にこだわっている一番大きな理由です。実は、酒ミュージアム付近一帯は札幌市の指定井戸にもなっていて、万が一水不足が起こった時でも札幌市民の水を賄えるだけの貯蓄はある場所でもあります。

         

         

        海外からの観光客に人気の商品とは……?

         

        酒ミュージアムは、“札幌の地酒”の歴史を知ってもらうとともに、日本清酒の商品の販売も行っています。デパートやスーパーで販売されている商品はもちろん、この場所限定商品もたくさんあります。

         

        そのひとつが「酒粕アイスクリーム」(ソフトクリームもあり)。このアイスには、千歳鶴の醸造過程でできた大吟醸の酒粕を使用し、独特の香りと甘みのある仕上がりとなっています。夏場は日本酒よりも人気があるという商品です(笑)。北海道で酒粕を使ったアイスを販売しているのは、ここだけですね。

         

        また、オリジナルの風呂敷がセットになった大吟醸・吟醸もここ限定の商品です。白地に鶴が描かれている風呂敷と、滑らかさが特徴的な白い瓶を採用しているのですが、日本らしさにあふれていることもあり、海外からの観光客に特に人気があります。

         

        面白いのは、欧米からの旅行者とアジアからの旅行者では人気のある日本酒が違うこと。前者は瓶の色使いやデザインが鮮やかなもの、後者はラベルに金文字を使用しているものを好む傾向があるようです。

         

         

        新社長・新杜氏による日本酒造りがスタート

         

        2014(平成26)年12月に新社長が、今年7月には六代目杜氏が就任し、新しい体制で日本酒造りを進めています。今後、千歳鶴が“札幌の地酒”としてもっともっと認知度が高まるよう、酒ミュージアムからもさまざまな発信をしていきたいと考えています。

         

        そして、札幌の皆さんに「日本酒といえば千歳鶴」と思ってもらえるような日本酒になるよう、美味しい日本酒造りを継続していきたいと思います。


        あなたの知らない札幌(11)「千歳鶴酒ミュージアム」前編

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          人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで不定期連載として「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。

           

          第11回前編は、来年開館15周年を迎える「酒ミュージアム」(札幌市中央区)で展示されている“札幌の地酒”の歴史について、同施設を運営している日本清酒株式会社の営業管理部・広報企画課の櫛引はるかさんに伺いました。

           

           

          “札幌の地酒”の歴史は144年前にスタート

           

          酒ミュージアムは、札幌唯一の酒蔵を持つ日本清酒が2002(平成14)年にオープンした、“札幌の地酒”の歴史を知ることができる施設です。明治中期の道南・伊達市に建てられた味噌醤油蔵の古材を天井梁に利用し、日本清酒の144年の歴史を表現しています。

           

          その日本清酒ですが、1872(明治5)年に石川県から北海道に渡って来た柴田與次右衛門(よじうえもん)が設立した「柴田酒造店」が起源です。その後、1897(明治30)年に数社が合併されて日本清酒の前身となる「札幌酒造合名会社」が設立されました。そして1924(大正13)年に「札幌酒造株式会社」となり、1928(昭和3年)に8企業を合同し「日本清酒株式会社」になりました。日本清酒で製造している日本酒の銘柄は『千歳鶴』というのですが、この銘柄は合同した中の1社の銘柄をそのまま統一銘柄として使用しているものです。

           

          現在の酒造工場である「丹頂蔵」が竣工したのが1959(昭和34)年。当時としては国内最大規模の酒造工場となり、積極的な広告展開を行いました。香川京子さん、朝丘雪路さん、鮎川いずみさんなど昭和中期を代表する女優さんがポスターに登場しました。この歴代ポスターが酒ミュージアムに展示されているのですが、「このポスターを譲ってもらえないか」という声が絶えない人気展示となっています。

           

           

          醸造の様子を表現したフィギュアが発掘された

           

          酒ミュージアムの玄関横には、過去に使用していた醸造用の道具とともに、醸造の様子を表現したフィギュアが9種類展示されています。この施設ではオープン当初から「酒造りに関する資料を展示する」というコンセプトがあったのですが、このフィギュアはオープン時にはなかったものです。

           

          実は、数年前に工場地下を整理したときに発見されたものでして、詳しい制作年はわかっていないのですがかなり古いものだと推測しています。しかし、今でも大吟醸など手作りの日本酒に関しては同様の作り方をしているので、“札幌の地酒”の歴史そのものと言っていいフィギュアだと思います。

           

           

          また、玄関を入ってすぐに「あるもの」が出迎えてくれます。この「あるもの」こそが、日本清酒が札幌で日本酒を造り続ける大きな理由なのです。

           

          後編へ続く


          あなたの知らない札幌(10)「トモエ醤油工場」後編

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            人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで不定期連載として「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。

             

            第10回後編は、福山醸造株式会社の「トモエ醤油工場」で製造しているしょうゆについて同社製造管理部の斎藤勝章さんと営業サポート部の森清史さんに伺いました。 ※後編はこちら

             

             

            『昆布しょうゆ』は「醤油」ではなく「醤油加工品」

             

            北海道の方々にとっては一般的な『昆布しょうゆ』ですが、ほかの地域ではほとんど流通していません。しかも、厳密にいうと『昆布しょうゆ』は「醤油」ではなく「醤油加工品」なのです。

             

            ひょっとしたら、魚醤のようなイメージで「昆布から作る醤油」と思われるかもしれませんが、『昆布しょうゆ』は大豆・麦から作った醤油に昆布のだし汁を加えて製造します。ですので「醤油加工品」に分類されるわけです。

             

            『昆布しょうゆ』はすっきりした後味が特徴の調味料です。一般的に「刺身醤油」というとたまり醤油のような濃い口を使用するようですが、北海道では『昆布しょうゆ』のようなだし醤油を使用することが多いですよね。当社の工場見学に来られた方には、この『昆布しょうゆ』の香りに誘われてそのまま寿司屋に直行する方もいるそうです(笑)。

             

            そもそもなぜ北海道で『昆布しょうゆ』が受けているのか。それには2つの要素があると想像しています。まずは、北海道人ならではの味覚。もうひとつは北海道の海産物が淡白なものが多いため、濃い口醤油だと海産物の味を殺してしまうこと。これらに要因によって『昆布しょうゆ』が支持されているのだと思います。

             

            前編でお話ししましたが、「トモエの醤油」の特徴は手間暇をかけることです。『昆布しょうゆ』は、100%北海道産の昆布を使用し自社工場でだし汁を製造しています。昆布エキスで代用している『昆布しょうゆ』もあるそうですが、トモエではそれは許されません。しかも、価格は変わらないんです(笑)。北海道の皆さんに美味しい醤油を使用してほしい、この思いだけで手間暇かけた醤油を生産しています。

             

             

            工場見学では普段目にしないものもたくさん

             

            「トモエの醤油工場」見学がスタートしてから7年ほど経ちましたが、年々見学者は増加しています。和食がユネスコ無形文化遺産に認定された今、もっと多くの方に醤油の魅力を伝えていきたいと思っています。

             

            「トモエの醤油工場」では醤油の生産工程はもちろんですが、普段はなかなか目にしないものがたくさん発見できます。例えば、業務用の醤油樽。水産加工品を製造している会社などに発送するのですが、1000リットルの醤油が入った樽は普段はなかなか見ることはないと思います。逆にミニチュアサイズの醤油の需要も増しています。「マイ醤油」人気かと思うかもしれませんが、実は今中国を中心とした東南アジアで醤油の人気が高まっていて、ミニチュアサイズの多くは輸出されています。北海道はインバウンド(訪日外国人)景気に沸いているといわれますが、当社に限っていうと「来ていただく」のではなく「輸出する」需要が増えています。

             

             

            また、工場の横には直営店もありまして、ソフトクリームにかけるシロップを「醤油」バージョンと「味噌」バージョンの二つを用意しています。(※「味噌工場」は旭川にあります)

             

            工場見学ができる場所は全国に多くあるとは思いますが、ここまで「香り」の変化を体感できる工場はないと思います。工場に入るまでは大豆を蒸している香りが、中に入ると醤油が発酵している香りが、奥に進めば進むほどその香りが増し食欲を刺激します。札幌で唯一の醤油工場で、歴史ある醤油作りを間近で感じてください。


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